2009年03月05日

名言 第22集 井伊直弼




(意味)
それぞれの出会いは一生に一度きりである。

この言葉は、井伊直弼が作ったといわれる。
人は一度しか生きることができない。その中での出会いは、一回一回が貴重である。今あっている人と今後会える保証はどこにもない。だからこそこの出会いを大切にしたいものである。



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名言 第21集 柳生宗矩

我人に勝つ道は知らず、
我に勝つ道は知りたり



(意味)
私は人に勝つ方法は知らないが、自分に勝つ方法は身につけた。

どんなことでも、最後に立ち向かうべきは自分自身である。何かを達成しようとするときに人を攻撃したり、追い落とそうとしたりする暇があれば、どうすれば自分を高めることができるか考えてみよう。
自分に勝つ方法とは、自分をコントロールすることができるようになることである。そうすれば大概のことは成功する。


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2007年05月13日

名言 第20集 柳生十兵衛

皮を切らせて肉を切る

肉を切らせて骨を切る



(意味)危険を冒さずに目標は達成できない。


皮を切らせておいて肉を切る。肉を切らせておいて骨を切る。これが柳生新陰流の極意である。
自らを安全な場所に置いて、目的を達成することは難しい。
何かを成し遂げようとするならば、自分も捨て身の覚悟で望むことが必要であろう。
それでいて、自分が倒れてしまわない冷静さと緻密さももたなくてはならない。






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2007年05月08日

名言 第19集 西郷隆盛

児孫(じそん)のために美田を買わず



(訳)子どもや孫のために財産を残すようなことはしない


西郷の漢詩「偶漢」は、「男児たるものは戦いに臨んで玉が砕け散るが如く散るべきで、瓦のように傷つくことなく残るのは恥である」と男の生き様を歌い、まさに激動の時代をくぐり抜けてきた男にふさわしいものである。
その詩の末尾を飾るのが表題の言葉である。
詩全体の締めくくりという意味でこの言葉を見ると、「子孫に伝え残すべきものは、このような生き方や信念である」という意味が浮かび上がる。
子や孫に形なき財産を与える。
かくありたいとは思いつつも、それは物を残すことよりもはるかに難しいことである。
まさに正義を重んじ清廉実直で無欲な西郷らしい詩である。














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2007年04月25日

名言 第18集 明智光秀

ときは今

天が下しる

五月かな



(訳)好機は今、この五月にこそ天下を取る。


1582年5月、毛利氏と戦っている秀吉の援護を命じられた光秀は、愛宕大権現へ戦勝祈願の参詣をした。その際に威徳院西坊で連歌会を催し、光秀が詠んだのがこの歌である。
「とき」を「土岐」と解し「土岐一族である自分が天下を取る時がやってきた」とも「しる」を「治る」「治天」と解し「天皇に天下を返すときがやってきた」とも、様々な解釈がある。
いずれにせよ光秀は、信長を討ち取る決断をし、その歌に願いをこめたといわれる。






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2007年04月22日

名言 第5集 坂本竜馬

左様さ、世界の海援隊でもやらんかな


大政奉還がされ新政府が設立される際、竜馬は西郷隆盛に新政府の組閣案を渡した。
竜馬ほどの活躍があれば、高い地位を要求しても不思議ではないが、竜馬は役人は性に合わないと答えた。
今後は何をするのかと訊ねる西郷に対しての答えがこの名言である。

この時同席していた海援隊士、後の外務大臣陸奥宗光は、後々まで「あのときの竜馬は、西郷よりもいっそう大きく思われた」と語っていた。





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2007年04月17日

名言 第17集 斎藤道三

されば無念なることに候

山城が子ども、たはけが門外に馬を繋ぐべきこと、

案の内にて候



(訳)残念だが私の息子たちは、あのたわけ(信長)の門外に馬をつないで、臣従することになろう。


道三は「おおうつけ」とあだ名される娘婿の信長と、尾張聖徳寺ではじめて会見する。
信長の来訪を隠れて窺っていた道三は、うつけ姿の信長と彼に従う五百人の槍隊、さらに五百人の鉄砲隊に目を見張る。
会見の場では、打って変わって正装で臨む信長にまたも驚かされる。
美濃一国を己の手腕で勝ち取り「蝮」と呼ばれた男は、信長の非凡を見抜き、斎藤家はいずれ信長の軍門に下るであろうことを悟った。




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2007年04月15日

名言 第16集 太田道灌

国に三不祥あり。

賢人あるを知らず一不祥、

知って用いざる二不祥、

用いるも任ぜざる三不祥



(訳)国を治めるのに三つの良くないことがある。賢人がいるのを知らずにいること、いるのが知っていながら用いないこと、用いても任せないでいること。


太田道灌は扇谷上杉家の重臣で、北関東の古河公方に対抗し守りを固めるために、岩槻城、江戸城を築城、また数々の軍功を上げ、声望は主君を凌ぐほどであった。
しかし、道灌が謀反を企んでいると讒言するものがあり、主君定正に対し、道灌は弁明しなかった。
しかし、「太田道灌状」の中で今まで忠節を尽くしてきた自分に対し、このような疑いをかけられたことへの嘆きを伝えたが、疑念は晴れなかった。
道灌は定正邸に招かれ、風呂に入り無防備な状態のときに暗殺される。
このときに「当方滅亡(扇谷上杉家もこれで滅びる)」という言葉を残したといわれる。



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2007年04月14日

名言 第15集 足利尊氏

この世は夢のごとくに候



この文は、南朝との戦いに勝ち、光明天皇を北朝の天皇として擁立した二日後、尊氏は戦勝の謝恩のため清水寺に参詣し、納めた願文の一文である。
その内容は、
「この世は夢のようなものです。道心を与えていただき、早く出家したい。私には現世よりも来世の幸福を頂きたい。この世での栄華はすべて弟直義にあげて、直義を守ってほしい。」
というものであった。

日本三大悪人といわれた尊氏は、仏教に深く帰依し、後醍醐天皇に背いたことも本意ではなかったようである。
しかしこの優しさが、内紛を招き、直義を毒殺することになり、孫の義満の代を迎えるまで、幕府を不安定なものとすることになる。









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2007年04月12日

名言 第14集 上杉謙信

我の公と争ふところは、弓矢にありて米塩にあらず


(訳)私が貴殿と争うのは武力をもって戦うことで、卑怯な手段ではない。


謙信と信玄が川中島で争っていた時期、信玄は今川と北条によって、南塩の道(太平洋側の塩の輸送ルート)を閉ざされた。
甲斐は危機に陥ったが、これを知った謙信が上記の書状を信玄に送り、北塩の道(日本海側)を使わせた。
これが「敵に塩を送る」のもとになった逸話である。
このようなやり取りがあったかは疑問視されるが、下克上の世では、まれに義に厚い人物という謙信の人柄をしのばせる。





posted by トヨタマ at 20:35| 名言集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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